京都嵯峨嵐山 臨済宗天龍寺派塔頭 弘源寺の暫定ノンフレームホームページです
弘源寺(こうげんじ)は臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の塔頭寺院です。
永享元年(1429)室町幕府の管領であった細川右京太夫持之公が、天龍寺の開山である夢窓国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山に迎え創建し、
持之公の院号をもって弘源寺の寺号としました。
細川家は清和源氏の流れをくみ、足利家より分かれた細川家9代が当時の開基持之公にあたります。
創建当時は小倉山の麓に位置し北は二尊院、南は亀山にいたる広大な寺領を有していまいたが、幾度かの火災に遭遇し変遷を重ね、
明治15年に末庵である維北軒と合寺しました。
虎嘯の庭
虎嘯(こしょう)とは、「龍吟雲起、虎嘯風生」(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)と言う語句から名付けられております。
この出典は『碧巌録九十九則』によるもので、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、
すなわち禅の悟りの境涯を表しています。
嵐山を借景にした枯山水庭園が、春の桜、秋の紅葉と調和する景色は嵐山屈指です。
本堂
本堂は客殿形式で寛永年代の造営です。正面中央には本尊観世音菩薩、右側に開山である玉岫禅師木像、
左側に開基である細川右京太夫持之公の位牌を祀っています。
柱に残る刀傷は、京都御所蛤御門の変(1864)に際し天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が、試し切りをしたものです。
現在の本堂は幾度もの修復を行っています。
毘沙門堂
毘沙門堂にある毘沙門天像は、インドの仏師毘首羯磨の作で、中国を経て日本に伝えられ、
始めは比叡山無動寺にありましたが幾つかの変遷を経て550年前に開山玉岫禅師が当寺にお迎えしました。
知恵・長寿の功徳があり、今も善男善女に信仰されています。
毘沙門堂の正面扁額は弘法大師の直筆で、天井には日本画家藤原孚石筆による四季草花48面の絵画が有ります。
歌碑句碑
弘源寺小倉山墓地には、西行法師ゆかりの井戸や、向井去来の墓が有るなど和歌や俳句に縁が深く、
このため小倉百人一首にちなんで句碑歌碑を100基ずつ全国に募集し1988年に建立しました
市民坐禅会
毎月 第3日曜日
午後5時30分〜午後8時 (午後5時30分までにお越し下さい)
参加費 無料
2時間坐禅 その後、30分 お茶を飲みながら法話と懇談
▼秋の特別拝観
枯山水庭園「虎嘯の庭」。
京都四条派の流れを継ぐ巨匠「竹内栖鳳画伯」や、 その門下(西山翠嶂画伯・土田麦僊画伯ほか )の 大家たちの作品を公開。
拝観日 10月4日〜12月7日
拝観時間 午前9時〜午後5時
拝観料 大人500円 小中学生300円
天龍寺塔頭 宝 厳 院
宝厳院は臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の塔頭寺院。
寛正二年(一四六一)室町幕府の管領であった細川頼之公により天龍寺の開山である夢窓国師の
法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建した。
創建時は現在の京都市上京区にあり応仁の乱の兵火にあい焼失したが、天正年間に豊臣秀吉より
朱印三十二石を附され、また徳川幕府も明治に至るまで外護した。
その後、変遷を経て天龍寺塔頭弘源寺内にあったものを現在の地(旧塔頭寺院跡)に移転再興したものである。
本尊は聖観音菩薩、両側に三十三体の観音菩薩が祀られており西国三十三ヶ所巡りをしたに等しいと言われている。
庭園は天龍寺開山夢窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、嵐山の全容を借景にする庭園である。
この庭園の見ものの一つ、大きな石は「獅子岩」と名づけられており実物からは獅子の姿が目に浮かんでくる。
また、この庭園は江戸時代の京都の名所名園案内記と称すべき『都林泉名勝図会』(寛政十一年(一七九九))にも
掲載されていた名園中の名園である。
フレームホームページには由来・庭園・建物・句碑歌碑・法話・宝厳院・坐禅会・天龍寺・特別拝観・交通の案内があります。