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毘沙門堂

当寺院の毘沙門堂についてのご案内です。

寺宝
  • 毘沙門天立像

    祀られている毘沙門天像はインドの仏師によって作られたもので、中国を経て日本に伝えられ、最初は比叡山の無動寺にありましたが、弘源寺に迎えられました。

    左手で宝塔を捧げ右手で戟を執る毘沙門天像です。袖や裳裾が長く、肥満を感じさせる大振りな体躯が興福寺東金堂四天王像(国宝)を想起させますが、腰を極端なほど捻り、袖や裳裾が激しく翻る動的表現において比類を見ません。兜から炎髪が立ち上がるのは着衣の翻りに対応する表現で、天部形においてこれらが見られるのは九世紀後半からですが、本例はその一古例です。

    頭体幹部は木心を籠めた一材から彫出されますが、下半身に施された内刳りは右方に寄って木心を外れています。膝辺で横に鋸を入れるのは右足を割り取るための処置と考えられています。左足は頸部で鉤形の相欠矧ぎとするのも、興福寺北円堂四天王像(国宝)や教王護国寺食堂四天王像などに類似の接手があり、いずれも本像の技法が古様なことを示しています。

    本像は比叡山無動寺伝来という伝承をもっています。不動明王を本尊とする無動寺の本堂は現在でもその両脇の間にいくつかの施入像を置き、『門葉記』によれば少なくとも中世にはそこに毘沙門天像のあったことが知られております。その後、般舟院、嘉祥寺を経て、永享元年(1429)に開かれた弘源寺にもたらされたと伝えられ、当寺が正保二年(1645)天龍寺内に再興されたとき本像も移されました。そのころは破損が目立っていたようで、足柄銘によればそれから数年後の慶安四年(1651)に修理されたました。表面の彩色はこの折に施されたものが多くの部分を占めていると推定されております。
    毘沙門天立像 毘沙門堂 毘沙門堂
  • 弘法大師空海直筆の扁額

    掲げられている扁額は弘法大師空海の直筆と伝えられております。
    弘法大師空海直筆の扁額
  • 四季草花48面の絵画

    毘沙門堂の天井には日本画家初代藤原孚石筆による四季草花48面の絵画が描かれています。
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