寺宝
竹内栖鳳と京都四条派の日本画
弘源寺では、日本画を代表する竹内栖鳳、またその一門を代表する西山翠嶂、徳岡神泉、山本紅雲など、数多くの日本画作品を公開しております。
竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年12月20日(元治元年11月22日) - 1942年(昭和17年)8月23日)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。
本名は恒吉。最初は棲鳳と号した。霞中庵の号もある。動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人でありました。
その画風は四条派を基礎としていますが、狩野派の他に西洋の写実画法などを意欲的に取り入れており、革新的な画風を示すことで日本画の革新運動の一翼を担いました。
大画面を破綻なくまとめる確実な技量のみならず、その筆法には悠然たる迫力を備えており近代を代表する日本画の大家の一人です。
竹内一門
竹内栖鳳は弟子の育成にも力を入れ、画塾「竹杖会」を主宰し、名だたる俊英を多数輩出しています。
弘源寺収蔵のお弟子さんの作品を一部ご紹介致します。
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池田遥邨
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西山翠嶂
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濱田觀
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伊藤小坡
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山本紅雲
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大矢峻嶺
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川口呉川
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小豆島甘兆
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大村廣陽
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青木生沖
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池田虹影
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佐藤寛山
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小野竹喬
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徳岡神泉
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金島桂華
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榊原苔山
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東原方僊
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森月城
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吉田兆青
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田中光陽
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山本朝光
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岩 周巣
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伊藤石華
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稲葉春生
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大矢峻嶺
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榊原苔山
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吹田草牧
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大村廣陽
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池田遥邨
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河島赤陽
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東原方僊
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伊藤小坡
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森月城
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大矢峻嶺
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東原方僊
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三木翠山
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三木翠山
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池田遥邨
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山本朝光
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伊藤小坡
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濱田觀
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山本紅雲
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山本紅雲
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伊藤石華
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榊原苔山
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森月城
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川口呉川
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川口呉川
竹内栖鳳、竹杖会と弘源寺の関係
先代の弘源寺住職の田原周仁師は竹内栖鳳氏の画塾「竹杖会」の方々と親交がありました。
また、竹内栖鳳氏にはご子息の竹内四朗氏がおり、その四朗氏が病いで倒れた時、親交の厚かった田原周仁師の弘源寺に療養のために身を寄せます。
その時、弘源寺付近に住む竹内栖鳳のお弟子さん、榊原台山氏が敬愛する父竹内栖鳳氏のご子息の四朗氏の味気ない闘病生活を見かねて、部屋に画を書いて飾ろうと門下生に呼びかけました。
その時に描かれたのが、この弘源寺に現存する襖絵や扇面です。
続々と竹杖会メンバーが集まり、なんとその数総勢24名。
竹杖会が一同に大勢集まるのは初めてのことで、またそれは竹内栖鳳氏や竹内四朗氏が多くの人々から慕われていたことが伺える逸話です。
襖絵、扇絵は5年の歳月をかけて完成し、竹内栖鳳氏の15回忌に合わせてお披露目されました。
お弟子さんたちが、竹内四郎氏の回復を祈り、画を描き上げていく様子が当時の紙面を賑わせており、その際には「栖鳳寺」と弘源寺が呼ばれておりました。